【コラム】ALSアイスバケットチャレンジについて思うこと
アイスバケットチャレンジ。ボクのところまでお鉢が回ってきましたので、出張先の札幌で氷水をかぶりました。(その時の動画はコチラ)
ALS (筋萎縮性側索硬化症)は原因不明の難病で、筋肉の委縮や筋力の低下をきたす神経変性疾患なんだそうです。個人的に記憶に新しいのは、徳洲会の徳田虎雄前理事長。以前、徳之島出身の知人から『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』というノンフィクションの本を紹介され、ALS患者やその家族の壮絶さを知りました。
ALSの理解と支援が広がることを願います。
なお、実行者は、次のチャレンジャーを3名指名するわけですが、、、
ボクは敢えて次を指名しません!
このチャレンジについては、ボクもいろいろ考えさせられました。そのことを以下に述べますね。
まず、このチャレンジの切り口については賛成です。
ALSもそうですが、さまざまなイシューが世の中に埋もれていて、なかなか認知されてない。ソーシャル系の活動に携わる人は、多かれ少なかれまずそこに大きな悩みを抱えています。
そういう意味では、ボクが関わっている森林だって同じ。都市部の人には森は遠い存在だし、途上国の森林破壊は先進国の人には疎いイシューです。つまり現状に耳を傾け、理解しようとする人はそう多くありません。そもそも、イシューの存在に気づいてもらうコンタクトポイントが少ないんです。
そういう意味では、アイスバケットを通じてALSの事を知った人は多いと思います。「遊びだ」「上っ面だ」「偽善だ」と言われても、まずは知ってもらうことが大切。そのきっかけ(インターフェイス)は小難しくてハードルが高いものよりも、ポップで手軽な方が裾野が広がるわけですね。
このチャレンジも、こうして世界中に広がっているわけですし、そもそもALSという言葉を知らなかった人への認知を広めることができたわけです。つまり裾野を広げるという狙いの面では成功と言えます。
ただ、その手法には感覚的にしっくりきませんでした。
まずは、「これってチェーンメールっぽいな」という第一印象。
それと、特に日本においてはチャレンジが広がれば広がるほど、「集団心理」と「強制力」が半ば暗黙のままに働いてしまうということ。
特に日本は、「朝バナナがいい!」とTVで報じられると、翌日スーパーからバナナが消えたり、ポップコーン屋さんが上陸すると報じられると、長蛇の列ができたり(個人的には、この人たちホントにポップコーン好きなのかよ、ってひねくれた目で見ちゃいます)、ブームに対してはかなり集団心理や横並び意識が働きやすい民族だと思うんです。そうなると、本当は乗り気でなくても氷水を被るか寄付を支払うというのは見えない強制力でしかないですよね。
もしこのまま×3のペースで広がりすぎてしまうと、今度はALSに対して嫌悪感を抱いてしまうような人も出かねないと思っています。もしそうなれば勿体ない話しです。
中には、「自分に回ってこい!」と思う人もいると思います。
指名するならば、乗り気でない人よりも喜んで受ける人を指名したいです。ですが、その先の事を考えると、必ずしもその意識で拡がり続ける確信が持てませんでした。なので、ボクは次の指名を控えた次第です。
もともと、ソーシャルな活動というのは一過性でなく、継続性が問われます。過熱しすぎると、その反動も大きくなる。ボクだってソーシャルでメシを喰っている人間です。被災地支援もそうですし、森林保全もそうですが、一瞬でバーンと寄付や注目が集まってその後落ち込むのではなく、寄付が細くても長く続くほうが、組織と活動の持続性につながるんです。
(もちろん、これがきっかけで注目を浴び、継続的なファンドレイジングにつながるのであれば理想ですが)
セレブでも何でもない日本人のボクにまでチャレンジが広がったってことは、ぶっちゃけもう十分でしょ。と思ったんです。
今回のチャレンジを通じて、ソーシャルに関わる端くれとしても勉強になりました。
水谷 伸吉